2009年10月27日火曜日

今週の一句 2009/10/18 - 10/24 上田信治

選者=上田信治


現代の作者の忌日俳句というと、近年は特に「子規忌」の句が作られることが多いように思うんですが、現代から見た俳句の神様ってことなんでしょうかね。ドラマチックだし。「虛子忌」は、なんだか気安く、親戚あつかいで作られている気がします。逆に「芭蕉忌」は、歳時記なんか見るかぎりは、あまりいい句がないですなあ。

〔今週の一句〕

茶碗蒸ジョナサン・スウィフト忌だと思う  野口裕

そんなことを思う人は、いないだろうと思うんですが、「茶碗蒸」というのが、なかなかに、なかなかかと(忌日ならなんでもつきそうですが)。

 

アラカンの忌や補陀落の海の見ゆ  ameo

高倉健といっしょに、網走から逃げて逃げて、西の彼方へというイメージでしょ うか。


テーブルの傾いてゐるセザンヌ忌  露結

鳥どちの頭の小さしカザルス忌  ameo

ちょっと昔のモダニズムみたいで、懐かしい感じがしてよかったです。


■上田信治 うえだ・しんじ 
1961年生れ。「ハイクマシーン」「里」「豆の木」で俳句活動。ブログ「胃のかたち」

2009年10月18日日曜日

今週の一句 2009/10/11 - 10/17 振り子

選者=振り子


生き死にを地続きと思えば忌日は折り返し地点、ターニングポイントほどの意味にもとれそうだ。この世に生まれたらひとりずつ忌日を持つことになる。毎日毎日忌日が生まれる。この世は忌日で満員だ。

故人の印象とは少し離れたものあるいは瑣末なものがあると忌日が働き出す。たぶんその故人の生前よりも亡くなった後にデフォルメされ(とかくデフォルメされる)、蓄積された情報のほうが拡がりをもってくるからだろう。考えると忌日俳句を詠むという忌日への接近は実に俳句らしい。

〔今週の一句〕

チャイム鳴るバーンスタイン忌の正午  ameo

バーンスタインは十月に亡くなっていたのか。正午の時を告げるチャイムの音がバーンスタインの忌日に私生活領域を感じさせることになった。バーンスタインといえばニューヨーク。でもニューヨークではないここ、晴れた日の昼のチャイムが鳴るけだるさ。忌日に「チャイム」が利いている。

煙草に火をつけたバーンスタインがビルの影からホモセクシャルな目を見開いている映像が浮かんでしまった。



アメリカやビング・クロスビー忌の遠く  露結

あの「古きよき」アメリカの象徴といえるビング・クロスビー。忌日をモノのようにぽんと遠くに置く視線はいかにも前アメリカを眺めている。「アメリカや」というベタな言い方もいい。私たちがあこがれた60年代のあのアメリカは今や失墜し、もはやあこがれでもなんでもなくなってしまった、嗚呼アメリカよ。「遠く」が余韻として鳴っている。


読めぬ字は飛ばしてミヤコ蝶々忌  ameo

ミヤコ蝶々と言えば南都雄二、あの間合い。何と言う字か読めぬなら飛ばす、は絶妙。


■振り子 ふりこ
「百句会」「月天」「豈」同人。俳句BBS「Satin Doll」

2009年10月13日火曜日

今週の一句 2009/10/4 - 10/10 太田うさぎ

選者=太田うさぎ


私自身は初心の頃に"○○忌"を作ることに先輩俳人からやんわり否定的なことを言われて以来、忌日俳句にはどうも手が伸ばせないのですが、こうやって亡くなった人びとを思い出して軽い親しみを込めた挨拶を送るのもいいものですね。世の中は生きている人ばかりで出来ているんじゃないんだな、と感じます。

〔今週の一句〕

遅れ髪ひとずぢもなき好江の忌  遥

「ひとすぢもなき」というところが、漫才芸人としての矜持を感じさせていかにも内海好江らしい。シャキっとしたおばさんでしたよね。

 

駅弁の豆の三粒や鶏郎忌  ameo

うーん、何だろうか、このいい具合のツキ感は。「豆三粒」というところが、「ミツワ石鹸」の唄云々ではなく妙にしっくりと来て、記憶の底の底に埋もれていた三木鶏郎という名前とCMソングの幾つかが浮かんできたのだった。


Tシャツを干せばはためくゲバラの忌  露結

チェ・ゲバラの名を初めて知ったのはデビッド・ボウイの歌、その後Tシャツのデザインとして見かけるようになった。今でも私の認識はそう大して変わらない。けれど、着込まれて型崩れもしていて、汗も沢山吸い込んできたTシャツ、それが風に強くはためいているのが何か叛旗のようで、ゲバラのイメージに格好よく重なります。


クリストファー・リーヴ忌の空持て余す 露結

スーパーマンとして一躍名を馳せた彼。乗馬事故により車椅子の生活を余儀なくされた晩年のことを考えると、「持て余す」がなんとも切ない。


■太田うさぎ おおた・うさぎ
1963年東京生まれ。「豆の木」「雷魚」会員。現代俳句協会会員。

2009年10月5日月曜日

今週の一句 2009/9/27 - 10/3 馬場龍吉

選者=馬場龍吉


好むと好まずに拘らずヒトは○○フェチである。言葉フェチがあるとすれば、俳人はほとんどそうだろう。言葉に対する反応は頭抜けていると言える。

忌 日俳句は自分ではほとんど詠まない。まず物故その人を知らないと出来ないし、その人を悼む気持ちが無ければ詠めないと思っているからだ。かと言っていつも きれいな言葉で飾って詠む必要はないであろう。その人を知っていたら、「どうして早く逝ってしまったんだよオマエ」と小突くような俳句でもいい。それも悼 みの表現の一つであるだろう。やはりその人と酒杯を傾けた仲でもないと詠んではいけないような気がする。

〔今週の一句〕

都会とふ大き便器やデュシャンの忌  露結

そう言われれば都会ってそうだよね。よく捉えているようだ。ところで肝腎のデュシャンは名前くらいしか知らない。便器の作品を多く遺した人だったろうか。

デュシャン忌の泉に茂る便器かな  猫髭
近づけば蓋上げデュシャン忌の便器  春休
デュシャン忌のオート開閉便器かな  春休
デュシャン忌の便器から湯を掛けられをり  春休

と詠まれた作者は、デュシャンフェチなのだろうか。それとも便器フェチなのだろうか。先に揚げた句はなかでもデュシャンその人を悼む心があるように思う。

 

夜光蟲(ノクテリコ)の群の単音(モノトン)マイルス忌  猫髭

海で育ってマイルスに没頭した人でなければ詠めない作品だろう。発光する夜光蟲の光をまるで交信しているかのように思い。その無音の世界にマイルスの音が聞こえてくるのだろう。光と音を詠んで佳作。

 

風吹くと森歌い出すウディの忌  露結
外壁のきららの光る山蘆の忌  遥
里山の団栗踏んで狐狸庵忌  猫髭
軽石でGパンこするディーンの忌  猫髭

こういう静かな作品は文句なく好きだなー。

それにしても週俳の『毎日が忌日』を「お気に入り」に入れるようになると、りっぱな忌日フェチだ。


■馬場龍吉 ばば・りゅうきち
1952年新潟県生まれ、東京都在住。第49回(2004年)角川俳句賞受章。「蒐」編集人。俳俳本舗BBS