選者=
小野裕三〔今週の一句〕
片口のひや酒ふふむ牧水忌 猫髭
俳句は忌日を題にするのが好きです。これは単に俳人たちの性癖の問題というより、俳句という文芸の本質にどこか繋がっていることのように思います。俳句とは「冥界の文学」である、という趣旨の文章を僕は以前に書いたことがあります。少なくとも、僕自身にとっては俳句を捉える時に「冥界の文学」とするのが一番ぴったり来るのです。
やや余談ですが、このネーミングにはヒントになったものがあって、島田雅彦氏が川端康成の小説を評して「冥界で俳句を詠んだような」としていて、これはまた適切な表現だ、と思いました。確かに川端の小説はどれもこれも「冥界で俳句を詠んだような」雰囲気に満ちているのです。そんなわけで、いつの日か「俳句史としての川端康成」という文章を書いてみたいと思っているのですが、これはいまだに果たせていません。
ともあれ、俳句とは冥界的であり、であるがゆえに、忌日と俳句の関係にもやや特殊なものがあります。ただし、逆に言うと俳句の本質に近すぎるがゆえに、忌日俳句は不用意に作るとつまらないものになります。つまらないというか、あまりにも当然すぎる俳句になってしまいます。つかず離れずのバランス感覚を俳句の実作において養う、という意味では、忌日俳句はいい訓練の場になるのかも知れません(僕自身は実は忌日俳句は苦手です)。掲句も、つかず離れずのバランス具合がいいと思います。牧水と言えば酒と旅はつきものではあるのですが、その定番の酒をうまく生きた風景として処理しています。
漆黒の傘やグレース・ケリーの忌 知昭
この句もそんな感じでしょうか。漆黒の傘、いいですね。特に漆黒にぐっと来ました。
■小野裕三 おの・ゆうぞう1968年、大分県生まれ。神奈川県在住。「海程」所属、「豆の木」同人。第22回(2002年度)現代俳句協会評論賞、現代俳句協会新人賞佳作、新潮新人賞(評論部門)最終候補など。句集に『
メキシコ料理店』(角川書店)、共著に『現代の俳人101』(金子兜太編・新書館)。サイト
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