2011年2月20日日曜日

2月20日

村山槐多  ≫Wikipedia ≫画像
洋画家 享年22歳・1919年

内藤鳴雪  ≫google ≫画像
俳人 享年78歳・1926年

小林多喜二  ≫Wikipedia ≫画像
作家 享年29歳・1933年

中野好夫  ≫Wikipedia ≫画像
評論家 享年81歳・1985年

フェルッチオ・ランボルギーニ  ≫Wikipedia ≫画像
Ferruccio Lamborghini
経営者 享年76歳・1993年

武満徹  ≫Wikipedia ≫動画
作曲家 享年65歳・1996年

6 件のコメント:

露結 さんのコメント...

持ち上げるランボルギーニ忌の扉  

猫髭 さんのコメント...

如月の階梯のぼり武満忌 猫髭

武満徹の音楽と著作は、詩的インスピレーションを受けるので、よく聞いて読んだ。「音、沈黙と測りあえるほどに」というタイトルからして詩である。家でかけてるとカミサンが火曜サスペンス劇場みたいとうまい事を言っていたが(馬鹿野郎)、聞き慣れると、物を書いている時のBGMとしてなかなかいいのである。エリック・サティは聞き惚れてしまうので、武満の音楽が外の自然の音のようで丁度いいのである。よい俳句と同じで、彼の音楽は音を作るのではなく耳を澄まして聞き取る音だからである。
著作では、わたくしが一番好きでよく見るのが『サイレント・ガーデン』という闘病日記で、病床で描いた絵入り料理レシピが書いてあって、何と言う美しい本を彼は残してくれたことか。そこに書いてあったので、わたくしも父の通夜の時はずっと武満が死んだ時にかけてほしいと頼んだ曲をかけていた。母が初七日が終わった時、おまえがかけていた音楽はなかなかいいねえ、と言ってきた。モーツァルトの「レクイエム」とバッハの「マタイ受難曲」である。

猫髭 さんのコメント...

興亡史めくりつつ中野好夫忌 猫髭

中野好夫の長男中野好之先生(大學の担当教授だった)が「ファニー・ヒル」というエロ本を偽名で出したので、その地下販売を手伝ったお礼に、中野好夫の浅間の別荘に招待されたことがある。モームやスウィフトの名翻訳でファンだったので、学者が別荘というのは凄いなと、近くにドイツ文学の中野孝次の別荘もあり(晩年「清貧の思想」で大もうけしていたが)、金持ですねと言ったら、それほど高くは無いんだよと言っていた。わたくしは金額ではなく、別荘を持つということが金持の発想だという意味で言ったのだが。
それはさておき、中野好夫訳は「ガリバー旅行記」の空飛ぶ島の糞尿譚など笑い転げたから、外国語を日本語で堪能することができる得がたい名翻訳者だったと言える。また『蘆花徳富健次郎』も面白く、わたくしは蘆花の日記全集まで買った。いや、合体のことまで事細かく書いてあり、抱腹絶倒で、天下の奇書である。ギボンの『ローマ帝国興亡史』は父亡きあと好之先生が継いで完成させた。

猫髭 さんのコメント...

大川の湛然として鳴雪忌 猫髭

内藤鳴雪翁は、その漢書の博識と人柄で多くの明治・大正の俳人たちに愛され、子規ばかりでなく虚子、碧悟桐や自由律の俳人たちとの交遊も広く、当時の俳句界の緩衝材のような役割を担っていた。子規、虚子、碧悟桐たちの御意見番的なところもあり、その俳句も多岐にわたって味わいがある。その名バイプレイヤーが、一度だけ主役に躍り出た句がある。

  秋の水湛然として日午なり 鳴雪

という句で、「日午なり」「何午なり」は流行語になったと子規は「明治二十九年の俳句界」で述べている。

achika さんのコメント...

地球といふ蟹工船は往く 多喜二の忌

あちか さんのコメント...

見ぬふりの蟹工船や多喜二の忌