選者=樋口由紀子
〔今週の一句〕
黒澤忌バターナイフのさらに銀 知昭
忌日には蓄積された情報が濃密に詰まっている。この情報を個性と工夫でいかに切り取っていくかが腕の見せ所のようである。
忌日俳句は忌日に収斂してこそが一句の価値なのだろうか。まったく関係のないことを言ったり、飛躍しすぎてはいけないのだろうか。しかし、あたりまえのことをあたりまえに言ったのではおもしろくない、とつい川柳人の習性で思ってしまった。中間がいいとも一概には言えない。右寄りか左寄りか、体重のかけ方の微妙なバランス感覚が顕著に忌日俳句には表われている。
ちなみに忌日川柳というのはあまり聞いたことはない。ひょっとして、どこかにあるのかもしれないが、たぶん一般的ではないと思う。「川柳忌」はあるが、『川柳総合大事典』(雄山閣)によると(「忌日川柳」という項目はなかった。)、歴史用語(今日では見られなくなった用語)に分類されている。川柳の祖と言われ、前句附けの点者(選者)であった初代柄井川柳の忌日で、江戸時代からあった行事とある。
川柳忌かざる言葉のありやなし 村田周魚
〈黒澤忌バターナイフのさらに銀〉は、ベタなイメージを取り省き、誰も気づかないところをクローズアップしている。忌日の固定化したイメージから、一皮剥いだ感触があったものを選んだ。
〔補〕
廃屋の婚礼箪笥鏡花の忌 春休
口紅の斜めに減つてセバーグ忌 猫髭
千代女忌の酸素一個に水素二個 ameo
ポケットの底の綿屑あんつる忌 ameo
先生せんせいセンセイ去来の忌 野口裕
何ちやつてと君が舌出す海童忌 猫髭
アンソニー・パーキンス忌のシャワー室 ameo
樋口由紀子 ひぐち・ゆきこ
1953年大阪府生まれ。姫路市在住。「MANO」編集発行人。「バックストローク」「豈」同人。句集に『ゆうるりと』『容顔』。セレクション柳人『樋口由紀子集』。共著に『現代川柳の精鋭たち』。川柳Z賞受賞。川柳句集文学賞受賞。「川柳MANO」サイト
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1 件のコメント:
樋口由紀子さま、
補欠とはいえ、二句も選んでいただきありがとうございました。
川柳は「柳樽」と「末摘花」(岡田甫の注釈が、なぜノーベル文学賞をやらぬのかというほど凄い!)と「武玉川」しか読んだことがなくて、近代川柳は東野大八「川柳の群像」を読んだだけで現代川柳には不案内ですが、猫思うに、忌日川柳が無いのは、人間くさい川柳にとって死体はあまり人間くさくないからではないでしょうか。落語の「らくだ」のように「かんかんのう」を踊らせるわけにもまいりますまい、と。
ちなみに、俳句では忌日句は付き過ぎるくらいに詠むのが慣しですが、これは葬式で縁者が故人の思い出を偲ぶようなもので、「祖(おや)を守り俳諧を守り守武忌 高浜虚子」というように、純粋の俳句というよりも慶忌贈答句として虚子が形を与えたという流れです。
虚子は「然し、それでゐて(慶忌の句は)平凡な句であつてはならない。他の意味も十分に運び而も、俳句として存立の価値があるといふやうなものでなくてはならぬ。そこが普通の俳句よりもむづかしいと言へば言へぬこともないのである」と述べていますが、天気さんの趣旨は、気軽に故人の思い出を偲びながら遊ぼうよというものと解しています。ディキシーランド・ジャズの葬送行進曲のように行きは哀しく帰りは陽気に、といった感じでしょうか。
実はわたくしも忌日俳句を詠むのは初めての体験です。
樋口さんもこれを機に川柳で忌日川柳にお遊びになってはいかがでしょう。いや、かんかんのうを踊らせるのは落語の中の話ですから、ゾンビ踊を見せてというのではなくて(笑)、現代川柳的に詠むとどうなるのか、興味があります。
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