2010年10月9日土曜日

10月9日

薄田泣菫  ≫Wikipedia ≫画像
作家 享年68歳・1945年

チェ・ゲバラ  ≫Wikipedia ≫画像
Ernesto ”Che” Guevara de la Serna
革命家 享年39歳・1967年

正力松太郎  ≫Wikipedia ≫画像
経営者 享年84歳・1969年

橋本夢道  ≫Wikipedia ≫画像
俳人 享年71歳・1974年


4 件のコメント:

露結 さんのコメント...

Tシャツを干せばはためくゲバラの忌 露結

蜜豆もギリシャの神も夢道の忌 露結


「つばめむかしへ帰るチェ・ゲバラの忌 さいばら天気」にはかないませんです。

猫髭 さんのコメント...

薔薇の字に薔薇の香の立つゲバラの忌 猫髭

ゲバラが死んだ時は殺されて目と口を開けたままの死体の写真が公表されたのを覚えている。ゲバラの死は「革命」という言葉が世界中で破裂する導火線のような死だった。翌1968年5月にパリで五月革命、10月新宿は騒乱罪の火に燃え、田舎から出て来て新宿に住んでいたわたくしもその現場に居合わせた。摂津幸彦があの時代のエネルギーは特別だったと回想した時、偶然同じ時代の空気を吸っていたことを知った。過去を振り返る趣味は余りないのだが、言われれば確かに面白い時代だった。あのエネルギーは、本当に、ゲバラの死で始まったのかもしれない。

猫髭 さんのコメント...

その節は又たのむ呵々ゆめみち忌 猫髭

橋本夢道はMuDoと読むが、「妻よおまえはなぜこんなに可愛いんだろね」と色紙に書くときだけは、平仮名で「ゆめみち」と名乗ったのに因んで。1977年に出た未来社の『橋本夢道全句集』はわたくしの宝物のひとつ。いつも元気を貰う。
仕事場が佃島、月島のそばにあったので、相生橋を渡って界隈を歩くたびに、ここを夢道も歩いていたのだ、静子夫人と歩いていたのだと思うと嬉しかった。月島で休憩するときは、「蜜豆をギリシャの神は知らざりき」の蜜豆を食べる。吟行の時は「近どう」で「餅入り明太もんじゃ焼」で麦酒ね。佃島の住吉神社には写楽終焉の地の碑がある。写楽と夢道にゆかりの地で働いているのは豪儀な気分だった。

猫髭 さんのコメント...

籠耳に茶話ひとつ泣菫忌 猫髭

二十年程前、社内報に面白い本の紹介記事を頼まれて「忘閑記」という連載を十五年ほどやったことがある。その第一回に取り上げたのが薄田泣菫の「茶話」冨山房百科文庫全三巻と子規の「松蘿玉液」「墨汁一滴」「病牀六尺」「仰臥漫録」だった。この泣菫の「茶話」は当時のゴシップ談のような物だが、これが滅法面白い。「大杉栄氏百円を損す」などは、いつも官憲がうろつくので隣の博打打が困り果てて大家に百円出すから大杉を引っ越しさせてくれと直談判する話で、甘粕大尉に恋女房の野枝とともに惨殺された経緯しか知らない後世には、生きた大杉栄が躍動する見事な筆致だった。泣菫と子規のコラムを継ぐ者やある。