選者=五十嵐秀彦
それにしても毎日毎日の命日をチェックしている編集サイドの苦労も大変なものだが、ここまで忌日が並ぶと90%以上はなんの関係も興味もない人ばかりだ。であればこそ、思い入れもなにもないところからガラガラポンと作句することになるのだろう。
えらく面白い句が並んでいる。忌日俳句は難しいとか、面白くないとかいう「常識」は、あっさり剥がれ落ちてしまった。歳時記にあるだのないだのという「重箱の隅」論からも、軽軽と解放されている。
日ごろ、字面、ゴロ、多少の思い入れで都合がつけば忌日俳句も作ってきた自分としては、このコーナーは目からウロコが落ちるようであり、楽しみでもある。
〔今週の一句〕
道に穴ショパン猪狩の忌なりけり ameo
ショパン猪狩って誰だっけ、とまず思う。あの「レッドスネーク・カモ~ン」の芸人であろことを知り、なんともユニークでかつユル~イ芸人だったなぁと懐かしみ、そして、死んでたのね、と小さく驚く。
東京コミックショーと言われればすぐにわかるが、ショパン猪狩という芸名にはあまり馴染みがない。コメディアンの芸名なのだから、滑稽な名前であるのは商売人として当然と思いながら、ショパンとはまたおそろしく遠距離な取り合わせで、その「人の喰い方」が面白い。芸名の話ばかりしていても仕方がないか。
「レッドスネーク・カモ~ン」なのだから、そりゃあ道には穴が開き、穴の奥では奥さんの蛇がその出番を待っている。そんな黄泉の道に、ショパン猪狩が珍妙な服を着てぼんやりと立っているのだ。
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● 草野心平忌 野口裕
これしかないじゃないか、というほどの句。心平の代表作を置き、草野心平忌と置き、それで一句にしてしまうなんて、著作権という概念を軽く蹴り飛ばしている。「●」は草野心平そのものでありながら、誰のものでもなく、同時に誰のものでもあるという、それは普遍的な一喝なのだろう。
なんとなく馬鹿ね横山隆一忌 猫髭
横山隆一という漫画家の、あの「フクちゃん」をリアルタイムで知っている人は私の世代あたりが最後だろうか。子ども心に、どこか古臭い漫画だと思っていたものだ。横山隆一の漫画は、毒がなく、シンプルなユーモアと、幼きものたちへの社会全体の愛情のようなものがあった。今の若い人に読ませても、さしずめ「どこで笑うの?」と言われそう。そのスローな印象に、「なんとなく馬鹿ね」のフレーズが効いているなぁ。
笑ひ方泣き方サトウハチロー忌 露結
サトウハチロー。私にとってはどこか気に入らない響きがその名にある。昭和を代表する詩人であるとは思いつつも、自分が何を詠むかより、人がどんな詩を欲しているかに敏感な人、という印象が強い。それはそれで詩のあり方のひとつとは思う。この句はその点で、サトウ・ハチローのそんな面を言い得ている。人はこの詩人から、笑い方や泣き方を教えてもらった。教わることではないのに、教えられてしまった。そして同時に、このフレーズの巧みさもサトウ・ハチローのある種のあざとさを連想させるものだ。忌日俳句が得意ではない私にとって、こうも自在に忌日で俳句を作れる人がいることに驚くばかりである。
■五十嵐秀彦 いがらし・ひでひこ
1956年生れ。札幌市在住。現代俳句協会会員、「藍生」会員、「雪華」同人、迅雷句会世話人。第23回(2003年度)現代俳句評論賞。サイト「無門」
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