選者=村田 篠
その人物への思いを詠むのに、どうして「忌日」であって「誕生日」ではないのだろうか、と思う。それは、17音しかない俳句にとって、「忌」の1音で多くのことを伝えられる忌日に比べると、「誕生日」とか「生まれた日」では音数が多くなってしまうから詠みにくい、というようなことでは(それも少しはあるかもしれないが)もちろんないはずだ。
たとえ故人であったとしても、「誕生日」を気にすることはその人の未来を見ることであり、「忌日」を気にすることはその人の歴史を見ることだ。そのあたりに、ひとつの言葉が背負うさまざまな事象を力として成立する俳句で、忌日が好んで詠まれる秘密がありそうである。
このことは、誰か故人の誕生日で俳句をつくってみようとすると、さらによく分かる。むずかしいです、これ。
〔この二週間の1句〕
古くから鉄新しきエッフェル忌 野口 裕
掲句の「エッフェル」という人名は、面白い働き方をしている。それは、世界中の人が知っているパリのランドマークが「エッフェル塔」という名をもち、「エッフェル」といえばまず最初にあの塔を思い出す、というしくみができあがっているからで、塔を思い出したのち、建物には必ずそれを設計した人が存在するのだという事実に思い至る、というこの句の構造が、その人物ひとりへの言及にはとどまらない広がりをもたらしている。「鉄という素材」のありようを詠った上中も「塔」と響き合って、明るい。
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ひたぶるにヴェルレーヌ忌の上田敏 山田露結
この句でヴェルレーヌを悼んでいるのは、厳密に言うと作者ではなくて上田敏だ。その上田敏を詠むことで、ヴェルレーヌと上田敏の関係、あるいは日本文学史のある地点を一瞬にして俯瞰してしまう。こんなことができる文芸は、たぶんというか、やはりというか、俳句だけなんだろうな。
■村田 篠 むらた・しの
1958年、兵庫県生まれ。2002年、俳句を始める。現在「月天」「塵風」「百句会」会員。俳人協会会員。「Belle Epoque」
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