選者=振り子
生き死にを地続きと思えば忌日は折り返し地点、ターニングポイントほどの意味にもとれそうだ。この世に生まれたらひとりずつ忌日を持つことになる。毎日毎日忌日が生まれる。この世は忌日で満員だ。
故人の印象とは少し離れたものあるいは瑣末なものがあると忌日が働き出す。たぶんその故人の生前よりも亡くなった後にデフォルメされ(とかくデフォルメされる)、蓄積された情報のほうが拡がりをもってくるからだろう。考えると忌日俳句を詠むという忌日への接近は実に俳句らしい。
〔今週の一句〕
チャイム鳴るバーンスタイン忌の正午 ameo
バーンスタインは十月に亡くなっていたのか。正午の時を告げるチャイムの音がバーンスタインの忌日に私生活領域を感じさせることになった。バーンスタインといえばニューヨーク。でもニューヨークではないここ、晴れた日の昼のチャイムが鳴るけだるさ。忌日に「チャイム」が利いている。
煙草に火をつけたバーンスタインがビルの影からホモセクシャルな目を見開いている映像が浮かんでしまった。
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アメリカやビング・クロスビー忌の遠く 露結
あの「古きよき」アメリカの象徴といえるビング・クロスビー。忌日をモノのようにぽんと遠くに置く視線はいかにも前アメリカを眺めている。「アメリカや」というベタな言い方もいい。私たちがあこがれた60年代のあのアメリカは今や失墜し、もはやあこがれでもなんでもなくなってしまった、嗚呼アメリカよ。「遠く」が余韻として鳴っている。
読めぬ字は飛ばしてミヤコ蝶々忌 ameo
ミヤコ蝶々と言えば南都雄二、あの間合い。何と言う字か読めぬなら飛ばす、は絶妙。
■振り子 ふりこ
「百句会」「月天」「豈」同人。俳句BBS「Satin Doll」
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