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デュカス忌の贋伯爵の髭薄し 猫髭60年代を振り返ると、当時は皆決めのセリフを持っていて、ポール・ニザンの「僕は二十歳だった。それが ひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとは誰にも言わせまい」(『アデン・アラビア』)や、チェザーレ・パヴェーゼの「ぼくらはとても若かった。あの年ぼくは一睡もしなかったのではないか」(『丘の上の悪魔』)といったフレーズには痺れた。粟津潔装丁の『マルドロールの歌』もそうで「手術台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会いのように美しい」というフレーズは頭のヒューズをひゅるひゅる飛ばした。後年、石井洋二郎の労作『ロートレアモン全集』を読んで魔法はとけたが、若い時に出会わないといけないものは確かにある。渡辺の粉末ジュースのように。
腰があるフレディ・マーキュリー忌のうどん ameo
着地する猫うつくしきマーキュリー忌
デュカス忌や物自体が遭う手術台
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デュカス忌の贋伯爵の髭薄し 猫髭
60年代を振り返ると、当時は皆決めのセリフを持っていて、ポール・ニザンの「僕は二十歳だった。それが ひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとは誰にも言わせまい」(『アデン・アラビア』)や、チェザーレ・パヴェーゼの「ぼくらはとても若かった。あの年ぼくは一睡もしなかったのではないか」(『丘の上の悪魔』)といったフレーズには痺れた。粟津潔装丁の『マルドロールの歌』もそうで「手術台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会いのように美しい」というフレーズは頭のヒューズをひゅるひゅる飛ばした。後年、石井洋二郎の労作『ロートレアモン全集』を読んで魔法はとけたが、若い時に出会わないといけないものは確かにある。渡辺の粉末ジュースのように。
腰があるフレディ・マーキュリー忌のうどん ameo
着地する猫うつくしきマーキュリー忌
デュカス忌や物自体が遭う手術台
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