2009年11月22日日曜日

今週の一句 2009/11/15 - 11/21 さいばら天気

選者=さいばら天気


忌日俳句を読んでいると、人名俳句とさほど変わらないように思えてくることがある。今週の句で言えば「現像液に女浸してマン・レイ忌」(露結)、「黴が好きお上嫌いで秋聲忌」(猫髭)などがそう。だから悪いというのではなく、特定の人物への思い、という点では、忌日俳句も人名俳句も同じだろう。

人名という固有名詞に、さまざまな事象が集約されるという点でも、忌日俳句と人名俳句は似ている。


〔今週の一句〕

アストロノミーアストロロジーケプラー忌  野口裕

天文学者として知られるケプラー(1571年12月27日 - 1630年11月15日)が占星術師でもあった事実を、今回はじめて知った。ケプラー曰く「このおろかな娘、占星術は、一般からは評判のよくない職業に従事して、その利益によって賢いが貧しい母、天文学を養っている」(Wikipedia)。一般の評判は天文学(アストロノミー)が上、金持ち(上流)がカネを出すのは占星術(アストロロジー)という16~17世紀の図式は、現代と逆のようにも思える。

 

波郷忌の日めくりなれば響きけり  春休

「霜柱俳句は切字響きけり」(波郷)。霜柱の頃か、波郷忌(11月22日)も。

俳句の「切れ」が隔てるのは二枚の紙片、と思うと、なんだか合点が行く(おなじ一枚の紙片の中に収まるのが一句一章)。次の紙片の印字が透けてみるが、決して同じ平面にはないものへの展開。


さいばら天気 さいばら・てんき
1955年兵庫県生まれ。1997年「月天」句会で俳句を始める。1998~2007年「麦」在籍。現在「豆の木」会員。現代俳句協会会員。2003年「麦」新人賞、05年、06年「豆の木賞」受賞。ブログ「七曜堂

2 件のコメント:

猫髭 さんのコメント...

>忌日俳句と人名俳句は似ている。

そうですね、言われてみれば。違いは人名が季語になるかどうかだけか。

あとは離して詠むか、付き過ぎで詠むかの違いだけで、わたくしは忌日句は付き過ぎるくらいに詠むと教わったので、その故人にお世話になった部分を抽出して取り合わせる詠み方ですが、似顔絵描きがいじらずに写実に描くかデフォルメして描くかといった違いのようなものか。

それにしても、

  現像液に女浸してマン・レイ忌 露結

は上手い。わたくしも現像室を作って凝ったことがあったから、マン・レイにはお世話になりましたので、詠もうと思って、この句を読んで、これ以上のマン・レイ忌の句はあるまいと舌を巻きました。露結という署名すら現像の露切りにつながり(とても大切。露が残ると染みになりフィルムが台無しになるので)、白眉。

露結 さんのコメント...

猫髭さま

うれしいです。
ありがとうございます。

天気さんのおっしゃる忌日俳句と人名俳句は似ている、というのはなるほどと思います。

ひとつの季語の中にいろんな情報がインプットされているのと同じように忌日にもいろんな情報がインプットされています。
ただ、一般的な季語に比べると忌日(故人に面識がある場合を除いて)から得られる情報は一定(調べたり、聞いたり)です。
「雪」という季語と作者との関係はさまざまなパターンがありますが忌日にはありません。
だからどうしても故人のイメージをなぞるような句になりがちなのかなあ、と。
これは、たとえば絶滅古季語(「湯餅を進む」とか「地紙売」とか)で句をつくるのにもちょっと似ているような気もします。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/07/blog-post_2927.html