選者=陽 美保子
忌日俳句の嬉しいところは、何といっても、これからどんどん新しい俳句が生まれる可能性に満ちているということだろう。何しろ人はどんどん死んでいくのだから忌日は増える一方だ。
有季定型を守っている俳句作者にしてみれば、どの季語を使っても、ほとんど誰かが読んだような句ができてしまう。それを免れようとして目新しい俳句を作っても、自分が面白がっているだけのような俳句になってしまうことが多い。新しい視点を打ち出し、しかも人がなるほどと唸ってくれるような俳句を生みだすことは至難の業である。
その点、新しい忌日が季語になってくれたら、こんなにありがたいことはない。読み古された季語で悪戦苦闘する必要はない。俳句作者のために、ここで名句が生まれ、季語として認められる忌日が増えんことを!
[今週の2句]
雲流れ自転車飛ばしルイ・マル忌 猫髭
この上五・中七の感覚、ルイ・マルの映画の雰囲気にぴったり。ひょっとしたら映画のひとコマにこういう場面があったのかもしれないが、そうでなくてもよい。とにかく、雰囲気が合っているのだ。「ルイ・マルの映画は音楽のセンスが頭抜けている」と猫髭さんが書いておられるが、私もまったく同感。まるで、その映画のために音楽が作られているような、いや、映画が音楽か音楽が映画かというほど一体化している。私の一本は「恋人たち」。あのブラームスの弦楽六重奏曲はあまりにも官能的だ。ずっと秘めていた情熱がどうしても抑えきれず沸々と湧いてくる感じ。以来、ブラームスのこの曲を聞くたびに悶々としてしまう。とにかく、猫髭さんのコメントに共感したのだが、改めてこの句を眺めてみると、さらりと詠んでいるようで実によく考えられている。「流れ」「飛ばし」という言葉の斡旋は、映像の動き、そして音楽の流れを感じさせる。久々にルイ・マルの映画が見たくなってきた。
百円がまだ百五円三島の忌 野口裕
一読何のことかよく分からなかった。でも、面白そうで立ち止まってしまった。すでに作者の術中にはまっている。三島由紀夫が亡くなってから記念のコインでも発売されたかしら…、いや違うな。これは、きっとネットオークションだろう。そうだ、きっと三島由紀夫の文庫本をネットオークションに百円で出品して、それが何日か経ってもまだ百五円の値段しか付いていないということだろう。出品者としては泣きたいところだが、しかしこれは、三島由紀夫の本がまだ稀覯本にはなっていない証拠、つまり、人気があって読み継がれており、出版も絶えていない証拠である。忌日の句は故人を敬う気持ちがないといけないというが、この句は、それを前面に出さず、しかも敬意が十分込められているとみた。そう思うと、百円の百という字が何やら寿ぐように見えてくるから不思議。
■陽 美保子 よう・みほこ
1957年島根県松江市生まれ。札幌在住。平成12年「泉」入会。平成17年泉賞受賞。第22回(2008年)俳壇賞受賞。現在「泉」同人、俳人協会会員。
1 件のコメント:
>私の一本は「恋人たち」。あのブラームスの弦楽六重奏曲を聞くたびに悶々としてしまう。
はいはい、これもレーザーディスクで持ってました。弱冠26歳でこんなよろめき映画を作ってしまうなんて何たる早熟の天才ニャロメ。映画は亭主のアラン・キュニーとジャンヌ・モローが強烈で、あのよろめきの若い相手役がぼうっとして霞んでしまい名前も顔もよく思い出せない(笑)。でも、あの夜の庭のシーンは確かに悶々でしたなあ。
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