選者=榊 倫代
忌日といえば、わたくし事だが息子が生まれたのが今年の桜桃忌で、「太宰治とちょうど100歳違い」と家族の間ではちょっと話題になった。
太宰はとうに卒業したが、せっかくなので再読をと文庫を数冊購入した。今は涎をたらしながらニマニマしているだけの赤ん坊だが、十数年もすれば「晩年」だの「人間失格」だの読むかもしれないし。太宰になぞまったく興味を持たずに育つのなら、それはそれでよし。
「毎日が忌日」で、先週が忌日だった何人かの人々とは懐かしい再会をした思いがした。岡田由季さんが書いていらしゃったように初めて知る人との「面白い出会い」あり、忘れていた人との邂逅あり、で、大変楽しく選句した。
実を言うと、忌日を季語とみなすことには違和感がある(歳時記に載っているいないは関係なく)。俳句は有季でなければいけないというものでもないが、季感を伴った句にひかれた。
〔今週の一句〕
桃缶の汁の甘さよハマクラ忌 露結
風邪には桃缶。炬燵には蜜柑。子どもの膝には赤チン。浜口庫之助の歌は、子ども時代を思い出させる。
風邪をひくと桃の缶詰を買ってきてもらうというような習慣は、私の子どものころにはまだあったように思う。熱っぽい体を起して、桃缶やら林檎のすりおろしやらを母の手から食べさせてもらう。甘くて冷たいものを食べると少し気分が良くなって、薬ものんでぐっすり眠ると、翌日にはだいたい熱も下がっていた。
桃ももちろん美味しいが、わずかに黄みをおびたとろりとした汁も楽しみのひとつ。きょうだいで取り合うようにして飲んだ。おそらく、今だったら甘過ぎて飲めたものではないのかも。
今時の子どもは、病気の時だけの特別の食べ物ってあるのだろうか。ちなみに浜口庫之助作曲「ねことめだか」という歌は今でも「おかあさんといっしょ」の定番曲。
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蛍光灯まぶしき鈴木その子の忌 てふこ
光を持ってきたのはつき過ぎのようにも思うが、明るいけれど無機的な蛍光灯は、最晩年のその子の姿や、どうやらあまり幸せではなかったらしいその生涯を思わせて哀しい。
さかさまにモップの乾くザッパの忌 ameo
逆様に立て掛けられて干されているモップと、ザッパとの距離感がいい。仲冬らしい乾いた空気感。
■榊 倫代 さかき・みちよ
1974年生まれ。「天為」同人。
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