2009年12月28日月曜日

今週の一句 2009/12/20 - 12/26 上野葉月

選者=上野葉月


句会で提出された忌日俳句が話題になるとき、別の忌日に取り替えても形を成すんじゃないかという意見をよく耳にするように思う。歳時記に載っている数多の季語の中でも忌日は一種特別の軽さのようなものを感じる。死者というのは理解しやすいという誤解を与える存在なのかもしれない。

結局、死んでしまった人間というのは生きている(死にかけている)人間に比べれば取っつき易いと言ってもいい。むしろ評価が急に変わりようもない安定感というか。かと言って、たとえば角川春樹氏に関するまとまった評伝の類は多くないけど春樹氏が亡くなったらそういうものが一気に出回りやすくなるだろうというようなことが言いたいわけではない(そういうことも少しは言いたいのかもしれないが)。ともあれ故人というのは、まあどいつもこいつも成仏していて所謂「涅槃で待ってろ」状態であるわけだ。

「人間五十年」とは云うけれどちょっと考えてみると五十年って長すぎないか。もちろん人類は哺乳類の中でも大型の方だけど、ヒトと同じ程度の大きさの羊だってたしか寿命は十五年ぐらいだったような気がする(ちゃんと調べていない)。確か猪や野生の豚も同じ程度だったような。ヒトよりはるかに大型の馬だって二十五年も生きなかったんじゃないか。

人類を極端に自己家畜化の進んだ動物であるとする定義はけっこう有効で使い手があるかもしれない。しかしいくら自己家畜化が進んでいるからといって五十年以上というのはどうだろうか。せいぜい三十五から四十ぐらいが妥当なような。私は自転車通勤のせいか世田谷の住宅地などでペットとして飼っている豚と朝の散歩している人を時折見かけるけれど、ああいう風に大事にされている豚というのは何年ぐらい生きるのだろうか。



人間って年齢が高くなるほど自殺者が増えることはよく知られているけど、ガンでも心臓病でも自殺を伴うようなうつ病でも結局「老化」の一言で片付けてしまっていいんじゃないかというようなことを最近よく思う。平均寿命が五十に達していないような国や地域ではガンや心臓病や自殺が目につくことは少ないように感じる。

数ヶ月前に電車内で雑誌の吊り広告で「介護地獄」という言葉を目にしたが、正に地獄という言葉がふさわしく思えた。

子育てはあんなに楽しいのに親の世話というのは何故あれほどまでに辛いのだろう。精神的、肉体的、そして経済的(ここは特に強調しておきたい!!)負担は地獄の名にふさわしい。たまたま私だけが偶然そういう状況に陥ったとはとても思えない。

〔今週の一句〕

羅生門くぐれぬ三船敏郎忌  遥

映画『スターウォーズ』一作目(Ep.4)の冒頭が『七人の侍』のオマージュなのは有名だが、ジョージ・ルーカスは当初オビワン・ケノービの配役として三船を考えていたそうだ。しかし当時すでに三船はアルツハイマーの症状が始まっていてオファーを断わらずを得なかったらしい。三船のオビワンというのは是非見てみたかったとは思うが、こうやってアルツハイマーと打ち込むだけでもキーを打つ指先が恐怖に震える。

長年私は自殺から非常に遠いところにいる人間だと自分を見なしてきたのだが、昨今の私は子供達に迷惑をかけたくないという理由だけでもしかしたら自殺という選択肢も十分可能だと思えるようになってきている。


■上野葉月 うえの・はづき
「豆の木」「THC」で活動中。ブログ「葉月のスキズキ」

2009年12月21日月曜日

今週の一句 2009/12/13 - 12/19 小林苑を

選者=小林苑を


忌日というのは濃いなと思う。なにごとかを成し遂げた、成し遂げとは言えないとしても、一生が完結した人ということなので、当然か。人名句と少しだけ違うとしたら、そこだと思う。

だから忌日を詠み込むとなると、そこで書くか、離れるかということになる。離れるとは、誰かが生きて、そして死んだ日も、こんな風に日常或いは世界はあるというわけだけれど、実は関係ない「ふり」なのだと伝わらないと忌日句にはならない。結果、忌日俳句も濃いめになるのだと思う。


〔今週の一句〕

壁があるカンディンスキー忌の壁だ  露結

そこで書くという位置そのものを句にしたという点で、離れてもいるという意匠の優れた句で唸った。

カンディンスキーの壁ではなく、カンディンスキー忌の壁だというのだから、言っていることは「ある日のある壁」というだけのことである。だけれども、読み手の前にははっきりと壁のようなカンディンスキーの絵が立ちふさがる。カンディンスキーの絵が壁のようだと言われて、私はひどく納得した。



腕組めば仰木彬の忌なりけり  露結

目の前に監督仰木彬が立っているとしか言いようがない。胸が熱くなる。

すれちがふ顔みな岸田今日子の忌  露結

思わず笑ったけれど、これは怖い。姉さんならもっと怖い。姉妹ならそれはそれで。

しづかなる道頓堀やカーネル忌  露結

離れてる「ふり」の優れた句。

力道山忌や角栄忌はそこで句群、マンガーノ忌やユルスナール忌は離れた句群なのも面白かった。


■小林苑を こばやし・そのを
1949年東京生まれ。「里」「月天」所属。

2009年12月15日火曜日

今週の一句 2009/12/6 - 12/12 大石雄鬼

選者=大石雄鬼


忌日俳句というと、妙に真面目になる人が多い。その人のことを深く知っていなければダメだとか言う。安易に作ってはいけないという。でも、本当にそうだろうか。他の季語の使い方はそれほどでもないのに、忌日になると、なぜそんなに目くじらをたてるのだろうか。

天気さんは、「忌日俳句を読んでいると、人名俳句とさほど変わらないように思えてくることがある。」と書いているが、私もそう思う。忌日とか言いながら、ほとんど季感などはどうでもよく、さらに言えば、殆どの場合、いつ亡くなったかということさえも知らない。


レトルトパウチ熱し鈴木その子の忌   恵

レノン忌のクレヨンで塗りたくる森  てふこ

雲が雲にぶつかる三波伸介忌   ameo

編集部無人開高健の忌  てふこ

レオナルド熊の忌歯医者さんへ行く  遥

こうやって見ると、いくぶん忌日俳句には暗さがあるように感じられるし、死というものをうっすら意識してしまう。まあ、レノンの場合、忌日でない人名俳句であったとしてもそう感じるだろうが、三波伸介やレオナルド熊や開高健なら、忌日でなければそう暗さを感じないだろう。逆に、充分俳句にされてきた、虚子忌とか、子規忌とか、桜桃忌などの方には、死や暗さというものを感じない。忌日になまなましさが無くなってしまっている。


〔今週の1句〕

レノン忌のクレヨンで塗りたくる森 てふこ

ジョンレノンのことはさほど知らないが、怒りのようなものがこの句に感じられる。というか、ジョンレノンからそのように感じられ、この句を補足しているのかも知れない。森をはみ出るほどに、強く厚く塗られていく緑。レノンと作者がクレヨンを塗られた森を通して、繋がりあっている。


■大石雄鬼 おおいし・ゆうき
1958年生まれ、埼玉県育ち。現代俳句協会会員、「陸」同人、「豆の木」所属、1996年に現代俳句協会新人賞。2008年前に豆の木賞。

2009年12月7日月曜日

今週の一句 2009/11/29 - 12/5 榊 倫代

選者=榊 倫代

忌日といえば、わたくし事だが息子が生まれたのが今年の桜桃忌で、「太宰治とちょうど100歳違い」と家族の間ではちょっと話題になった。

太宰はとうに卒業したが、せっかくなので再読をと文庫を数冊購入した。今は涎をたらしながらニマニマしているだけの赤ん坊だが、十数年もすれば「晩年」だの「人間失格」だの読むかもしれないし。太宰になぞまったく興味を持たずに育つのなら、それはそれでよし。

「毎日が忌日」で、先週が忌日だった何人かの人々とは懐かしい再会をした思いがした。岡田由季さんが書いていらしゃったように初めて知る人との「面白い出会い」あり、忘れていた人との邂逅あり、で、大変楽しく選句した。

実を言うと、忌日を季語とみなすことには違和感がある(歳時記に載っているいないは関係なく)。俳句は有季でなければいけないというものでもないが、季感を伴った句にひかれた。


〔今週の一句〕

桃缶の汁の甘さよハマクラ忌   露結

風邪には桃缶。炬燵には蜜柑。子どもの膝には赤チン。浜口庫之助の歌は、子ども時代を思い出させる。

風邪をひくと桃の缶詰を買ってきてもらうというような習慣は、私の子どものころにはまだあったように思う。熱っぽい体を起して、桃缶やら林檎のすりおろしやらを母の手から食べさせてもらう。甘くて冷たいものを食べると少し気分が良くなって、薬ものんでぐっすり眠ると、翌日にはだいたい熱も下がっていた。

桃ももちろん美味しいが、わずかに黄みをおびたとろりとした汁も楽しみのひとつ。きょうだいで取り合うようにして飲んだ。おそらく、今だったら甘過ぎて飲めたものではないのかも。

今時の子どもは、病気の時だけの特別の食べ物ってあるのだろうか。ちなみに浜口庫之助作曲「ねことめだか」という歌は今でも「おかあさんといっしょ」の定番曲。



蛍光灯まぶしき鈴木その子の忌   てふこ

光を持ってきたのはつき過ぎのようにも思うが、明るいけれど無機的な蛍光灯は、最晩年のその子の姿や、どうやらあまり幸せではなかったらしいその生涯を思わせて哀しい。


さかさまにモップの乾くザッパの忌   ameo

逆様に立て掛けられて干されているモップと、ザッパとの距離感がいい。仲冬らしい乾いた空気感。


■榊 倫代 さかき・みちよ
1974年生まれ。「天為」同人。